心を閉ざしたり

すこし、自分の中の儒教の良い面も見つけられるようになった気がした。

心を閉ざしたり、過剰に政治社会にコミットしたり、過剰に人間関係に完璧を期するのは、たしかに儒教の弊害かもしれない。

しかし、それらの害毒をよく整理したうえで、オープン・マインドを心がけつつ、もし適度な距離感で政治社会に責任感を持てたら、また適度な関係で家族や地域社会や職場を大事にできたら、それは決して悪いことではなく、美徳であろう。

儒教は、そのままでは弊害が大きいかもしれないけれど、いろいろ相対化して、希釈したのちであれば、今でも多少は生かすべき価値もあるかもしれない。

何よりも、それがたとえ、仏教の慈悲やキリスト教の愛に比べて、その規模も迫力も随分劣るものだとしても、孔子が説いた仁義は、それなりに人間として大事な部分もあると思う。
ただ、それは、人間の成長において、慈悲や愛に深め広げられるべきものなのかもしれない。

自分の人生を振り返ったときに、儒教の圧倒的な影響を抜きには考えられないけれど、もうちょっと自由になって、良い面を肯定的に眺められるようになったらなと思う。

儒教への郷愁と葛藤は、まだ当分は私の意識無意識の中で続きそうだし、おそらくは決別できない類のものかもしれない。